古金屋の日記

生まれた時にはスクラップ屋、そして今もスクラップ屋

古鉄屋の独り言

週明けの月曜日、値上げに動いた電炉がありました。

 

取引先の電炉によって値上げをするところがまちまちでした。

 

やはり海外の値段に引きずられて値上げとなりましたね。

 

ただ、値上げの船はまだ来ないのですが、問屋は船が来るまで出荷をしないで

 

積んでおけば値上がりするのが分かっているのですから。

 

でも、それでは電炉は溶かす材料がなくなるので、やむなく値上げをします。

 

なので値上げが始まるのです。

 

逆に来月の入札が下がるとなると早く出さなければ予定価格が下がります。

 

しかし、ここで電炉メーカーの逆襲??が始まります。

 

江戸の仇は長崎で、ではないですが荷止めという手法があります。

 

品物はどんどん入ってくるので集荷には困りません。

 

なので、自分にとって良い都合で荷受け制限を、荷止めをかけます。

 

こんなことを1年中繰り返しているのです。

 

海外への輸出がそれなりに始まったのは、昔懐かしいバブルの崩壊以後の

 

ことでした。

 

国内だけに販売だと国内の需給によって買取価格が調整されてしまいます。

 

そこでスクラップ業界はこれではまずいと輸出へと舵を切りました。

 

関東鉄源協同組合が出来たのはこれがきっかけとなったのです。

 

きちんとした組合になったのは2001年、というと今から20年前くらいですね。

 

その前はシッパーと言われる輸出専門の業者がいたのでそこに販売していた

 

のでしょう。

 

すいません、この当時はばりばりの現場の若いあんちゃんやっていたので詳細は

 

よくわかってません。

 

亡くなった父がたまに話していたのを聞いて覚えているぐらいの記憶です。

 

バブル崩壊が確か1990年説と1993年説があるのですが、スクラップ業界は

 

他の業界より半年ほど早く落ち込み、半年ほど早く値上がりすると言われて

 

いました。何に対してというと、あまり根拠はないのですが、世間の景気と

 

比べてという非常にザクっとした感覚ですがそういうものだと教わりました。

 

バブル後の一番の底値は1992年の夏でした。

 

その後紆余曲折を経て組合が設立されたのです。

 

そりゃあ、国内というか、関東の電炉の方々はいい感じはしなかったでしょう。

 

 

でもそれを乗り越えたからこそ今のスクラップ業界があります。

 

スクラップの8割が逆有償になってもおかしくなかったバブル崩壊後に輸出の

 

道を模索したスクラップ業界。

 

ただ、遅かれ早かれ、輸出の道は開かれていたと思います。

 

スクラップはワールドワイドな情報を元に国内価格も決まっていきます。

 

年内はこのまま上げ基調でいってくれないかな。